トヨタ(豊田)哲学の「第一に安全」をどう鍛え直すか?
問題はこのトヨタ(豊田)哲学の基礎が顛倒(てんとう)してきたことだ。つまり「量」が一番になり、 「質」が二番になり、一番大事な 「安全」が最下位の第三番目に落とされて軽視されてきていることが最近のトヨタ社の傾向にあったのであろう。豊田の基本的な価値基準が揺るぎはじめて転倒(てんとう)の予兆をみせてきたのが今回のリコール問題の本源的な原因だと考える。この、「第一に安全」を掲げたはずのトヨタ(豊田)哲学がそうでなくなってきてしまったのはなぜなのか?それをいま鍛え直さなければこれから後の更なる大きな危機には対応できなくなるだろう。
豊田哲学なのかトヨタ哲学なのかは英語の文章では判断がつかなかったが、材質コントロールを基本にすることがトヨタの哲学の基礎にあり、その質の生産の鍵というのが人の質を向上させることだと豊田さんは確信しているという。私もトヨタも完全ではなく、傷をみつけることもあるだろうが、しかし我々はそういう時に、問題を理解する努力をいつもおしまずに更なる改善をしてきたというのがトヨタ(豊田)の哲学らしい。
2月24日(米25日)の米議会公聴会での証言では、豊田さんは米国と全世界の我々のお客に対して、いかにトヨタが安全と質とを考えてきたかを説明する機会をこの度、得て光栄だとしている。そしてトヨタは 「第一に安全」 「第二に質」 「第三に量」の順で経営を行ってきたことを話している。
つまり、トヨタのもともとの哲学とは相容れない傾向が最近のトヨタ社には起こっていて、これが原因で、今回の事件となったということを豊田さんは言われようとしたのだと見る。
ここで思い出して欲しいのは、「超八」という思想のことだ。これは法華経があらゆる経典つまり八経に超過しているという思想なのであるが、それを否定する者がでてきて、法華経最第一を第二、第三と下げて解釈することで、人々の悪心を煽り結局は社会全体を苦しめてしまうということになる。創価学会・公明党が日蓮正宗の鶴丸を頭(かしら)にして、真言の蝦蟇(がま)の体躯の上に括(くく)りつけようとしたが、本山に破門されて失敗した。同様なことが前の首相らを頭に利用して創価学会・公明党は暗躍しようとしたがうまく行かなかった。今度は鳩山首相を蝦蟇の頭に取って付けようともくろんでいるようだ。この方法は仏法では真言の盗法(とうほう)として法華経最第一の玉を真言経に盗み入れるやり方として有名なのである。
どういうことかというと、「法華経 第一」 「涅槃経 第二」 「無量義経 第三」 「華厳経 第四」 「般若経 第五」 「蘇悉地(そしつじ)経 第六」 「大日経 第七」とあるのを、人師の執着の事情によってこの順序を変更・改竄してみせるのである。
華厳宗を起こした中国の澄観(ちょうかん)などは、「華厳経 第一」 「法華経 第二」 「涅槃経 第三」 と順序を倒立させて「法華経第一」を嫌って、第二番目に落として解釈しいる。ところが日本の弘法という人は更に悪心をもって、「大日経 第七」という最下位である劣った大日経の教えを第一だとして、法華経の最第一と順位を取り替えてしまった。大日の真言経を一切経の頭にしたのである。そして、「大日経 第一」 「華厳経 第二」 「法華経 第三」 と邪説を立てたのである。
このことを指して、法華経最第一の鶴の頸(くび)を切って蝦蟇(がま)の身体に括(くく)りつけたというのである。このときに鶴の頸を切り落として蝦蟇の体躯に括りつけようとした蝦蟇の頸(くび)が切れてしまっていたわけである。それが因果で真言亡国といって、一番上のかしらである長男が立たないというようなことになってくる。つまり早死にしたり病弱であったりして家の柱となる跡継ぎの男性がいないという亡人・亡家・亡国の因縁となっているのだと解釈する。
創価学会・公明党というのはそのような法華経最第一の日蓮正宗の鶴の頸を切ることを目論んだ団体なのである。だから創価学会の蝦蟇の体躯には今は日蓮正宗の鶴丸の頭が乗ってないのである。蝦蟇の身体だか頭だか見分けのつかないような何か得体の知れないマークが乗っている。じつは創価学会はそういうことで、頭をさがしてふらふらとあちらこちらを俳諧する顔や頭(かしら)である本尊が不明確な幽霊団体なのである。
そういう蝦蟇の身体(からだ)である創価学会の票田に興味をひかれる日本国の頭である首相というのは、実はこの真言の盗法の罠に落ちる可能性が強いということである。それは日本国に亡人・亡家・亡国の因縁をつくることになる。前の首相の例がそれをよく物語っている。
これらはみんな、法華経最第一に対するやっかみなのである。いってみれば彼等には法華経最第一は目の上のたんこぶなのであった。
「法華経第一」 「無量義経第二」 「華厳経第三」と順を入れ替えてみせて、そして最後には、この順序を、「無量義経第一」 「華厳経第二」 「法華経第三」と解釈してみせるのである。つまり法華経最第一だったのが「法華経第三」の最下位の下劣に転倒させて解釈したりするわけだ。
そのような意味で、第一と第二が異なるのを平等視しようとした人に無量義経徳行品第一を読んで『獄中の悟り』を得たがこれは法華経最第一の悟りと同じものだとした人が戸田城聖であった。「法華経 第一」と 「無量義経 第二」との区別をなくし、同じ論文の前後であり同じものなのだとした戸田の解釈を教団の原点、つまり創価学会の生命哲学の原点に置いたのは池田大作創価学会会第三代会長であった。
ここでトヨタ(豊田)の哲学について一言いえるのは、「第一に安全」の徳目が目の上のたんこぶのように邪魔になってきた者がいたのではないかということだ。この「第一に安全」の徳目こそは一番金が掛かるからであろう。その他の徳目の「第二に質」 「第三に量」にとっての障害にもなってきたのであろう。だからこの順序づけを変える傾向が自然と起こってきていたのではないか。
「第一に安全」 「第二に質」 「第三に量」という順番付けはスローガンとしては一見して正当のようではあるが、それらは単に横に並べ番付をほどこしたものに過ぎなかった。それらの徳目相互の関係における価値認識が確実に規定されていないのである。これでは、それらの順位というものは簡単にすり替えが可能だということだ。つまりそれらの位置・順序関係に鍵がかかってないのである。
例えば豊田さんのいう、「第二の質」がどうして「第三の量」にすぐれているのか?また「第二の質」よりも「第一の安全」が何故に優れて大切なのか?の哲学的な認識が欠けているのである。
「第一に安全」 「第二に質」 「第三に量」と言って見た所で、近年の環境維持経費の急激な増加や国際競争などの難問の嵐の前では、すぐにそれらの価値基準は揺らぎ、順番の入れ替えが生ずる可能性があるということだ。その時にまた車の安全で大きな窮地に立たされるに違いないのである。
豊田さんは自分の責任だとはいわないが、米国の公聴会では一応は謙虚に、トヨタ車を運転してサンジエゴで亡くなったサイラー家族に深く憐憫を感じ追悼の祈りを捧げると話している。そしてこのような悲劇が起こらないようにするために、私のできることはすべてすると話している。
創価学会が、諸経に勝る最第一の法華経を、劣った価値である第二第三の無量義経と並べて見せて、次にはそれを手品の如き手法で法華経に同じる論議を立て、法華経最第一の価値を下したことに、今日の創価学会と日本の混乱の誤りの根源があるわけだ。それは戸田城聖が劣る無量義経というものに縁がありそれに執着していて、本心から法華経を法華最第一と認識できなかったことと関係している。それとおなじ徹をトヨタが踏まないことを祈りたい。どこまでも「最第一に安全」を決めていかなければならない。
その意味で、一度思い切って、「第一に安全」 「第二に質」 「第三に量」 という横に並べるトヨタ式番付のやり方というものを廃止して、安全第一だけにして、それに並ぶ二無く、三の無い、安全最第一を唯一絶対の基準とする企業哲学として掲げなければならないだろう。純粋な精神をもってそういう哲学にトヨタが鍛えなおせば、おのずからそこに再生の道はあるはずである。そんな馬鹿なことをしたら企業として成り立たなくなるなどと心配してこれを疑ってはならない。それよりも、今回の事件は単なる予兆でしかなかったということをしっかりと認識できるかどうかである。これに躓(つまづ)けばトヨタは創価学会のようなさらなる顛末の憂き目にあることは目に見えているからである。
この「第一に安全」ということはトヨタにとっては車に乗る人の安全のことだと思うが、この人の安全も家族の安全、国の安全にも通じることである。日蓮大聖人という方が鎌倉時代に「立正安国論」という著述をしていて、そこに於いて人のそして国の安全ということについて書かれているのである。
国の安全を求める者は多く、国の政治家だけでなく民衆や企業人にいたるまでそれは万民の願うところであり希求するものである。しかしそれを実現する方法に誤りがあるために逆に人々は不幸になり国は混乱し戦争が起こり、世の中は安全ではなくなってしまっているというのである。その原因が誤まれる思想・宗教にあるこという。その誤まれる宗教というものが実は、この「第一に安全」 「第二に質」 「第三に量」 という価値づけの順序を逆立(さかだち)させ倒立させる思想的な悪の根源になっているわけである。
法華経が最第一であることを転倒させて誤魔化そうとした戸田城聖やそれを後継する創価学会・公明党の誤りというのも、ここに源があったのである。トヨタは創価学会ではないかもしれないが、この第三を第一と摩り替える悪い思想・宗教が関係してたと見るべきでありこれを糾さなければトヨタの再興は望めないだろう。
by 広転
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